開催していた頃、その本町通りをぐるり囲むように
歩き回っていた集団がいました。
夢ひろばの参加企画であった、「ポタライブ船橋編」の参加者達です。
「ポタライブ」とは、その町毎について綿密に取材した後に
生まれる、町を対象とし舞台としたストーリーを、
観客とともに町を歩く中で上演する、という、
「お散歩しながら観る演劇」のことです。
今回は、その船橋編。
取材、練習、と綿密な準備の後の本番。
同じ演目を、2日で2回、上演しました。
夢ひろばの日に行った1日目は、暑い位の晴れ。
翌2日目は、寒い位のうす曇。
どちらの日も満員御礼の、スタッフ込みで約15人、と
同等の人数の集団でしたが、
観客の年齢の割合・道行く人の様子・吹く風の感じ・
植物、鳥、猫、犬などとの出会い・工事の進み具合、等の
出演者とは別の要素も、2回の同じ演目でも違った顔の上演になる、
その影響を与えていました。
町なか(屋外)で少人数で行うのが「ポタライブ」ですから、
そういった要素が劇場内での演劇より強く響くのだということが、
私には実感されました。
つまり、観客達は、出演者以外の事柄も思い出にするのです。
この2日間の参加者の方達も、「自分は、この町・船橋の
ある一面を、2時間体感した。この感覚が、この後の自分の
見方にどう関わってくるかは、これから」といった感触を
得たのではないかと思いました。
「私は八王子だけど、」「私は佐倉だけど」
「うちではどんなになるだろう」という想像のお話が、
上演後のお茶の席で交わされていました。
コースの道を日常的に使うある参加者は、
「未開の地にたくさん足を踏み入れて感動した。
お地蔵さんのとこから大神宮を見たとき 京都みたいだった。
空が広く見えた。」とのメールを下さいました。
先に書きました、「本町通りをぐるり囲むように」のコースとは。
駅から、暗渠を辿り、通りの端を横切り、西向き地蔵へ、
浄勝寺へ、飯盛り大仏へ、東照宮へ、そしてクライマックス・・ です。
まちで出会う人々の反応は、
「催し物だと記事で知るまでは、『何度もここで見るけど
昔の格好で何しているんだろう』と、いぶかしんでいました。
(リハーサルで何度も訪れていた)」と話されつつ、
そっと現れた役者の登場に、参加者より早く気付いて
お店から覗き込んでいたお花屋さん。
自分の庭のように堂々と通りを進むダンサーを目で追い、
「そう、お芝居なの。いや、びっくりして。」と目を丸くしながら
笑んでいた散歩のおじ様。
ありありと興味のある顔で、
「あの人(役者)あっち行っちゃったけど、いいの?」と訊ねてくる、
美容師さん達。
そのように、偶然、と言うか、そこに暮らし働いているのですから
必然とも言える状況で
「まちが語る演劇 ポタライブ」を目撃する人々がいます。
その人々が見たのは、瞬間のもの。
参加者と違って、筋立てや前後は、この時は知る由もありません。
ただ、見慣れている風景が、目を奪われる風景に
がらりと移り変わる。
この記憶された風景が、次にいつ、その人の瞼に蘇るか。
「あれは、何だったのか」。
その瞼の風景が、誰にどこに伝達されていくか。
誰からの見解でもなく、自分の思い出から生む、町の見方。
そのバラバラ同士のものがいつか繋ぐ、人と人の意識、感情が
あるだろうと思います。
ポタライブから、この町への贈り物は、それなのかな、と思います。
この風景も、目を奪われるものを隠し持っている。
(コミュニティアート・ふなばし 金 亮子)