2008年02月14日

バレンタインデーin船橋K

これをまた別な面、つまり「快楽」ではなく、何かが「わかる」という面からも検討してみましょう。
自分にしかわからないとか、自分たちにしかわからない、というのと、コミュニケーションを通じてはじめてわかるとか、あるいは全然わからないというのは、「わかる」を構成する二要素だと思うんですね。前者は独我論や地域コミュニティについて語り、後者は異文化や他者について語っているわけです。
独我論は、自分が自分を自分だとわかる、自分が自分であるということだけは疑い得ない、というようなところを根拠に世界を見ていくわけですが、実際には自分しかこの世に存在しなかったら、自分が自分であるということを認識してみようと考えること自体がおそらく成立しないので、独我論自体が他者を前提にしているように思います。だから、これら相反するように見える態度も、実際にはよくよく考えていけば相互に支えあっているというか、浸透しているというか、ちょっと普通に考えてみればわかるように、同じものの別の面でもあるわけですが、どんどん乖離していくように見える。
では、以上の「快楽」にせよ「わかる」にせよ、なぜ両者が乖離していったり、物事の両面であることが隠されていくのかと言うと、それは「他者」との出会いの欠如にあるのではないかと思います。それはまちにとっても、アートにとってもです。
他者との出会いが減ること、簡単に言うとわけのわからないものや不穏なものとの出会いをなくすことによって、社会は安全で住みやすいものになる一方で、あらゆるものが私的なものになり、ゲートが閉ざされ、文化って、あなたの個人的なこと、つまりは趣味の問題でしょ、ということになってきたのではないでしょうか。
ではこれをどう乗り越えたらいいのか。もちろん乗り越えなくてもいい、社会はいい方向へ向かっている、というお話もあるかとは思うのですが、いちおうそうじゃない社会を、つまりアートは公共性があるということを言いたいので、そういう方向で議論させてもらうと、私は「他者」との出会いを促進すること、先が見えないものを持ち込むこと、そしてこれらを多面的に評価すること、この3点が必要ではないかと考えます。
まず、「他者」との出会いですが、これは質的な問題、アプローチの問題もあって、例えば何がアートなのかを専門家や愛好家が握っている、あるいは少なくともそのように考えられているような状況のもとでは、アートあるいは文化施設は「使わせてあげます」「見せてあげます」的な存在としてしか出現しないので、当然、いらない「他者」としてしかまちには認識されません。逆にこうしたアートや文化施設にとっての「まち」も、すばらしい文化を理解できないダメな人たちみたいな、これまたどうしようもない「他者」としてしか立ち現れません。これは「他者」というよりやっかいものですね。
例えば、まちの方からすれば、何がアートかどうかはあんまり問題ではないわけです。おそらくそこまで考えてはいないわけですが、それを使って自分の生活やコミュニケーションの質を高めることができるかどうかが問題なわけです。あるいはそのようなものとしてアートが使える、価値がある、ということを知ってもらうことが重要なわけです。これぞアート・リテラシーの向上で、そうなってはじめてまちにとってアートが「他者」として歓待されるわけです。
アート・リテラシー向上の例としては、先にあげた長野の中学校などがいい事例でしょう。中学生が自己表現のために、自らが職人的技術力を磨くのではなく、すでにその道でそれなりにできる人やアーティストを呼んできて、やりたい企画を実現するプロデューサーとか仕掛け人的立場で動く。この立ち位置まで来れば、アートをわけのわからないもの、ムダなもの、私的なものなどとは思わないでしょう。
しかし、アートがそのようなものとして「まち」に現れるとは限りません。というより、ほとんどはそんな風には現れないと言っていいかと思います。そこにはアーティストとまちの人、そしてこれらを仲介するコーディネーターやファシリテーターの間の齟齬や誤解などがあるわけですが、これらをなるべくわかりやすくするために、次のような図を考案してみました。名づけて「PECP分析図」です。ネーミングがイマイチですが。
連続講座01.jpg
縦軸にアート軸として「展覧会型/プロジェクト型」という軸を、横軸にまち軸として、「地域型/都市型」という軸を設定します。
縦軸のアート軸は、ちょうど先日の「アサヒ・アート・フェスティバル(AAF)」のネットワーク会議で、P3の芹沢高志さんが、「伽藍とバザール」という話をされていましたが、それに対応するかと思います。「伽藍とバザール」は最初「グランドバザール」とか聞こえて何のことだ?と思ったんですが、要するに伽藍のように構築された企画と、自然発生的にできあがっていくバザールのように、やりながらできていくプロセス重視のプロジェクト型とを対比させた比ゆですが、私はそれを「展覧会型/プロジェクト型」と表現しています。上にいくほど構築的で、アーティスト個人の世界観を何より重視しますが、下にいくほど自然発生的で、参加する人相互の関係性から生まれるものを重視します。
また、横軸はまち軸といいましたが、要するに、そこに住んでいるというだけでいやおうなくいっしょにやらないといけないといった地域コミュニティ型のあり方と、好きだからやるといった都市型のあり方、集団で言えば目的解決型のテーマ・コミュニティなどもこちらに入るかと思います。
これらをマトリックス状にしてそれぞれの象限にアルファベットをつけてみました。すると、例えば「A」は展覧会型で都市型ですから、美術館やギャラリーでの企画展みたいなものになるでしょう。また、「D」はプロジェクト型で地域型ですから、東鳴子や塩竈でのプロジェクトのようなものになるのかなと。
(つづく)
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