お待たせしました。2008年「きらきら春の夢ひろば」のお知らせ第1弾です。
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本町通り08'「きらきら春の夢ひろば」
きて みて 知って わたしのまち
〜本町通りまちと写真ワークショップ
NPOと商店街のまちづくりイベントとして2003年よりはじまった本町通り「きらきら夢ひろば」。
今年のテーマ「きてみて知ってわたしのまち」に合わせて、本町通りを自由に散策し、「知って
ほしいまちの表情」を見つけて撮影するワークショップを開催します。撮影された作品は、2008
年5月、11月開催の「きらきら夢ひろば」で展示します。
■日時:2008年4月12日(土)13:30〜15:30
■集合:本町通り商店街事務所
※歩きやすい服装の上、デジカメ(カメラ付携帯電話でもOK)持参でお越しください。
■参加費:500円(材料費)
■お問い合わせ・お申し込み
本町通り商店街振興組合
〒273-0005 船橋市本町3-3-1
047-422-7419 info@diamond-service.jp
http://kirayume.seesaa.net/
■参加団体 船橋市本町通り商店街振興組合/NPO法人船橋子ども劇場/NPOまちアート
・夢虫/NPO法人ちばMDエコネット/NPO法人コミュニティアート・ふなばし/まちネッ
ト・ふなばし/船橋に中ホールをつくる会/NPO法人船橋レクリエーション協会/NPO法人100
歳まで安心して買い物できるまちづくりの会/船橋市有価物回収協同組合/NPOにぎわい創生
船橋駅周辺のまち/(有)グッド・タイム
■きらゆめ参加ボランティア募集!
・船橋の昔の写真解説スタッフ
・子ども向けワークショップのスタッフ
・ヨーヨーつりなど縁日ブースのスタッフ
参加していただいた方には本町通り商店街でお買い物に使える「ダイヤモンドポイント」を、ボ
ランティアポイントとして差し上げます。
いずれも、2008年5月17日(土)11:00〜16:00の「きらきら夢ひろば」への参加になります。お
気軽にお問い合わせください。
※「きらきら夢ひろば」では、年間を通じて「きらきら夢ひろば」の運営をお手伝いしていただけるボランティアスタッフも広く募集しています。興味のある方は、一度お気軽にお問い合わせください。お待ちしています。
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2008年03月30日
2008年03月22日
ダポちゃん手ぬぐい
本町通り商店街のマスコットキャラクター「ダポちゃん」の手ぬぐいが完成し、森田呉服店で販売中です。スタンダードな朱色と紺色の2カラー。とても可愛いので、早くも「もっといろいろな色で作りたい」「ダポちゃんの配列やデザインを変えたものも作りたい」と、新しいバージョンについてもアイディアがたくさん出ています。春のきらゆめではこの手ぬぐいをさげた人の姿がたくさん見られるかも?皆さん是非、手に入れてくださいね!
2008年02月14日
バレンタインデーin船橋L
次に先の見えないものを持ち込む、ということについて説明したいと思います。
先が見えない、先が見えないと言い、これが商店街に限らず、若者その他の悩みのように言われがちですが、私はちょっと違うんじゃないかと思うんですね。先が見えない不安というよりは、先が見えてしまうことへの閉塞感といった方が正確なのではないでしょうか。何をやってもたかが知れているとか、どうせ社会はこうなっているとか、もうここまで来ちゃっている以上、いかんともしがたいとか、そういった閉塞感。
そこで私は先が見えないものこそを歓待する態度、結果が見えないことに賭けてみるという体験をすることで、社会は活性化するということを何とか証明できないかと考えています。アートや文化に直接的な価値があるとすれば、とりあえずこれじゃないでしょうか。
アート・プロジェクトの事例ではもちろん、こうした「なんだかわからないけどやってみよう」「やらないよりはやった方が何かあるかもしれない」と、いわばアーティストに乗せられて事に踏み出す、というケースが多々みられるわけですが、これを数値化していくといいかもしれません。
そうした意味では先駆的な取り組みとして、大阪大学の2004年の研究結果からとあるグラフを参照してみたいと思います。

このグラフは、宝くじの当選確率を横軸にし、右へいけばいくほど当たる確率が増していきます。右端は絶対当たる、ということですね。逆に左端は絶対はずれる、と。縦軸はこれに対して人がどう反応するかを難しい数式に入れて計算したもので、その確率に対して危険を回避するようにふるまうか、それともあえて危険に挑むようにふるまうかを示す危険回避度です。上にいけばいくほど危険回避的にふるまい、下へいくほど危険愛好的にふるまいます。
この調査結果からわかることは、人は当たる確率が3割以下になると、危険愛好的にふるまうということ、すなわち、成功する確率が3割以下になると、「どうせ失敗してもともと」と開き直るわけです。
もともと市民からの運動の場合、「重要なのは失敗できることだ」などということが立派な発言として口にされるのですから、どうせなら成功確率3割以下のプロジェクトとして、みんなで危険愛好的にふるまうことで、賭けに出る。これによって、成功すればもうけものですし、失敗しても連帯感やいい意味での反省が生まれれば、それはそれで「成功」と言ってしまうこともできそうです。要は危険愛好的にふるまわせるだけのモチベーションがあるか、それをつくれるか、ということですよね。黙っていても成功率3割以下の「先の見えている閉塞感」にいる以上、「どうなるかわからない」アート・プロジェクトに賭け、一攫千金をねらってみようと挑発していく。それがアーティストや文化施設の役割、ということでしょうか。
最後に、「多面的な評価」について説明したいと思います。
ここまで説明してきた「他者との出会い」や「先の見えないもの」を持ち込むということは、ある意味きっかけなわけです。これらを評価し、位置づけていくことが、継続していく上でも、またやったことが「やっぱりやかったんだ」となるという意味でも大切なことです。価値をつくる、ということですから、もしかしたらこれが一番難しいかもしれません。アーティストにとっても「他者」として現れたり、「先の見えないもの」に飛び込ませたり、というのは案外できそうですが、この評価というのが苦手なんじゃないでしょうか。すでに定まった評価を追うのではなく、まだよくわからないものをどう評価し、多くの方に説明していくか、これこそがこれからの文化施設などに求められることかもしれません。
例えば、一見、ムダと思える交流の場や時間を、そのまま「ムダ」と評価すればムダなわけですが、そのまちやそこに住む人の「豊かさ」や「多様性」の表れと読み替える解釈力があれば、それは「豊かさ」や「多様性」といった価値になるわけです。
これをアンケートやインタビューなどを行い、ドキュメントや講演その他といったかたちでまとめていくことで、新たな価値をつくりだしたり、評価をつくっていったりできると考えています。会話に「多様性」が生まれたとか、今までになかった「豊かな」関係性が生まれた、当たり前だと思っていたものを「資源」と認識するようになったといった項目はそのわかりやすい例でしょう。それを多くの方にわかってもらえるかたちでまとめ、開示し、文化資本の増大としてアピールしていくことが、これまでになかった経済的なインセンティブ以外の非金銭的インセンティブとでもいうべきものを増大させ、社会を新たな面から豊かにしていくための方法につながると考えています。
みなが同じ目的、例えば真新しいショッピングモールや最先端の設備を備えた文化施設をもてれば幸せで、そうでなければしかたなしにあるもので我慢している、というような状態であれば、それは非常に貧しい状況です。目的や価値が多様化し、あらゆる人が、あらゆるまちが、それぞれの指標でもって豊かさを語れるようになってはじめて、豊かさは訪れるのではないかと思います。それぞれの目的や価値をそれとして気づかせたり、あるいはつくっていくのは芸術・文化の数少ない使命だと思います。
今日は、そうした価値の多様性、例えば、ゴージャスでもない、セレブでもないまちで、有名でもハイアートでもないアートでもって、それぞれの場所性や関係性を見出していける、つくっていける、というような話をしたかったのですが、いかがでしたでしょうか。つたない話でしたが、最後までおつきあいいただき、まことにありがとうございました。
(つづく)
先が見えない、先が見えないと言い、これが商店街に限らず、若者その他の悩みのように言われがちですが、私はちょっと違うんじゃないかと思うんですね。先が見えない不安というよりは、先が見えてしまうことへの閉塞感といった方が正確なのではないでしょうか。何をやってもたかが知れているとか、どうせ社会はこうなっているとか、もうここまで来ちゃっている以上、いかんともしがたいとか、そういった閉塞感。
そこで私は先が見えないものこそを歓待する態度、結果が見えないことに賭けてみるという体験をすることで、社会は活性化するということを何とか証明できないかと考えています。アートや文化に直接的な価値があるとすれば、とりあえずこれじゃないでしょうか。
アート・プロジェクトの事例ではもちろん、こうした「なんだかわからないけどやってみよう」「やらないよりはやった方が何かあるかもしれない」と、いわばアーティストに乗せられて事に踏み出す、というケースが多々みられるわけですが、これを数値化していくといいかもしれません。
そうした意味では先駆的な取り組みとして、大阪大学の2004年の研究結果からとあるグラフを参照してみたいと思います。
このグラフは、宝くじの当選確率を横軸にし、右へいけばいくほど当たる確率が増していきます。右端は絶対当たる、ということですね。逆に左端は絶対はずれる、と。縦軸はこれに対して人がどう反応するかを難しい数式に入れて計算したもので、その確率に対して危険を回避するようにふるまうか、それともあえて危険に挑むようにふるまうかを示す危険回避度です。上にいけばいくほど危険回避的にふるまい、下へいくほど危険愛好的にふるまいます。
この調査結果からわかることは、人は当たる確率が3割以下になると、危険愛好的にふるまうということ、すなわち、成功する確率が3割以下になると、「どうせ失敗してもともと」と開き直るわけです。
もともと市民からの運動の場合、「重要なのは失敗できることだ」などということが立派な発言として口にされるのですから、どうせなら成功確率3割以下のプロジェクトとして、みんなで危険愛好的にふるまうことで、賭けに出る。これによって、成功すればもうけものですし、失敗しても連帯感やいい意味での反省が生まれれば、それはそれで「成功」と言ってしまうこともできそうです。要は危険愛好的にふるまわせるだけのモチベーションがあるか、それをつくれるか、ということですよね。黙っていても成功率3割以下の「先の見えている閉塞感」にいる以上、「どうなるかわからない」アート・プロジェクトに賭け、一攫千金をねらってみようと挑発していく。それがアーティストや文化施設の役割、ということでしょうか。
最後に、「多面的な評価」について説明したいと思います。
ここまで説明してきた「他者との出会い」や「先の見えないもの」を持ち込むということは、ある意味きっかけなわけです。これらを評価し、位置づけていくことが、継続していく上でも、またやったことが「やっぱりやかったんだ」となるという意味でも大切なことです。価値をつくる、ということですから、もしかしたらこれが一番難しいかもしれません。アーティストにとっても「他者」として現れたり、「先の見えないもの」に飛び込ませたり、というのは案外できそうですが、この評価というのが苦手なんじゃないでしょうか。すでに定まった評価を追うのではなく、まだよくわからないものをどう評価し、多くの方に説明していくか、これこそがこれからの文化施設などに求められることかもしれません。
例えば、一見、ムダと思える交流の場や時間を、そのまま「ムダ」と評価すればムダなわけですが、そのまちやそこに住む人の「豊かさ」や「多様性」の表れと読み替える解釈力があれば、それは「豊かさ」や「多様性」といった価値になるわけです。
これをアンケートやインタビューなどを行い、ドキュメントや講演その他といったかたちでまとめていくことで、新たな価値をつくりだしたり、評価をつくっていったりできると考えています。会話に「多様性」が生まれたとか、今までになかった「豊かな」関係性が生まれた、当たり前だと思っていたものを「資源」と認識するようになったといった項目はそのわかりやすい例でしょう。それを多くの方にわかってもらえるかたちでまとめ、開示し、文化資本の増大としてアピールしていくことが、これまでになかった経済的なインセンティブ以外の非金銭的インセンティブとでもいうべきものを増大させ、社会を新たな面から豊かにしていくための方法につながると考えています。
みなが同じ目的、例えば真新しいショッピングモールや最先端の設備を備えた文化施設をもてれば幸せで、そうでなければしかたなしにあるもので我慢している、というような状態であれば、それは非常に貧しい状況です。目的や価値が多様化し、あらゆる人が、あらゆるまちが、それぞれの指標でもって豊かさを語れるようになってはじめて、豊かさは訪れるのではないかと思います。それぞれの目的や価値をそれとして気づかせたり、あるいはつくっていくのは芸術・文化の数少ない使命だと思います。
今日は、そうした価値の多様性、例えば、ゴージャスでもない、セレブでもないまちで、有名でもハイアートでもないアートでもって、それぞれの場所性や関係性を見出していける、つくっていける、というような話をしたかったのですが、いかがでしたでしょうか。つたない話でしたが、最後までおつきあいいただき、まことにありがとうございました。
(つづく)
バレンタインデーin船橋K
これをまた別な面、つまり「快楽」ではなく、何かが「わかる」という面からも検討してみましょう。
自分にしかわからないとか、自分たちにしかわからない、というのと、コミュニケーションを通じてはじめてわかるとか、あるいは全然わからないというのは、「わかる」を構成する二要素だと思うんですね。前者は独我論や地域コミュニティについて語り、後者は異文化や他者について語っているわけです。
独我論は、自分が自分を自分だとわかる、自分が自分であるということだけは疑い得ない、というようなところを根拠に世界を見ていくわけですが、実際には自分しかこの世に存在しなかったら、自分が自分であるということを認識してみようと考えること自体がおそらく成立しないので、独我論自体が他者を前提にしているように思います。だから、これら相反するように見える態度も、実際にはよくよく考えていけば相互に支えあっているというか、浸透しているというか、ちょっと普通に考えてみればわかるように、同じものの別の面でもあるわけですが、どんどん乖離していくように見える。
では、以上の「快楽」にせよ「わかる」にせよ、なぜ両者が乖離していったり、物事の両面であることが隠されていくのかと言うと、それは「他者」との出会いの欠如にあるのではないかと思います。それはまちにとっても、アートにとってもです。
他者との出会いが減ること、簡単に言うとわけのわからないものや不穏なものとの出会いをなくすことによって、社会は安全で住みやすいものになる一方で、あらゆるものが私的なものになり、ゲートが閉ざされ、文化って、あなたの個人的なこと、つまりは趣味の問題でしょ、ということになってきたのではないでしょうか。
ではこれをどう乗り越えたらいいのか。もちろん乗り越えなくてもいい、社会はいい方向へ向かっている、というお話もあるかとは思うのですが、いちおうそうじゃない社会を、つまりアートは公共性があるということを言いたいので、そういう方向で議論させてもらうと、私は「他者」との出会いを促進すること、先が見えないものを持ち込むこと、そしてこれらを多面的に評価すること、この3点が必要ではないかと考えます。
まず、「他者」との出会いですが、これは質的な問題、アプローチの問題もあって、例えば何がアートなのかを専門家や愛好家が握っている、あるいは少なくともそのように考えられているような状況のもとでは、アートあるいは文化施設は「使わせてあげます」「見せてあげます」的な存在としてしか出現しないので、当然、いらない「他者」としてしかまちには認識されません。逆にこうしたアートや文化施設にとっての「まち」も、すばらしい文化を理解できないダメな人たちみたいな、これまたどうしようもない「他者」としてしか立ち現れません。これは「他者」というよりやっかいものですね。
例えば、まちの方からすれば、何がアートかどうかはあんまり問題ではないわけです。おそらくそこまで考えてはいないわけですが、それを使って自分の生活やコミュニケーションの質を高めることができるかどうかが問題なわけです。あるいはそのようなものとしてアートが使える、価値がある、ということを知ってもらうことが重要なわけです。これぞアート・リテラシーの向上で、そうなってはじめてまちにとってアートが「他者」として歓待されるわけです。
アート・リテラシー向上の例としては、先にあげた長野の中学校などがいい事例でしょう。中学生が自己表現のために、自らが職人的技術力を磨くのではなく、すでにその道でそれなりにできる人やアーティストを呼んできて、やりたい企画を実現するプロデューサーとか仕掛け人的立場で動く。この立ち位置まで来れば、アートをわけのわからないもの、ムダなもの、私的なものなどとは思わないでしょう。
しかし、アートがそのようなものとして「まち」に現れるとは限りません。というより、ほとんどはそんな風には現れないと言っていいかと思います。そこにはアーティストとまちの人、そしてこれらを仲介するコーディネーターやファシリテーターの間の齟齬や誤解などがあるわけですが、これらをなるべくわかりやすくするために、次のような図を考案してみました。名づけて「PECP分析図」です。ネーミングがイマイチですが。

縦軸にアート軸として「展覧会型/プロジェクト型」という軸を、横軸にまち軸として、「地域型/都市型」という軸を設定します。
縦軸のアート軸は、ちょうど先日の「アサヒ・アート・フェスティバル(AAF)」のネットワーク会議で、P3の芹沢高志さんが、「伽藍とバザール」という話をされていましたが、それに対応するかと思います。「伽藍とバザール」は最初「グランドバザール」とか聞こえて何のことだ?と思ったんですが、要するに伽藍のように構築された企画と、自然発生的にできあがっていくバザールのように、やりながらできていくプロセス重視のプロジェクト型とを対比させた比ゆですが、私はそれを「展覧会型/プロジェクト型」と表現しています。上にいくほど構築的で、アーティスト個人の世界観を何より重視しますが、下にいくほど自然発生的で、参加する人相互の関係性から生まれるものを重視します。
また、横軸はまち軸といいましたが、要するに、そこに住んでいるというだけでいやおうなくいっしょにやらないといけないといった地域コミュニティ型のあり方と、好きだからやるといった都市型のあり方、集団で言えば目的解決型のテーマ・コミュニティなどもこちらに入るかと思います。
これらをマトリックス状にしてそれぞれの象限にアルファベットをつけてみました。すると、例えば「A」は展覧会型で都市型ですから、美術館やギャラリーでの企画展みたいなものになるでしょう。また、「D」はプロジェクト型で地域型ですから、東鳴子や塩竈でのプロジェクトのようなものになるのかなと。
(つづく)
自分にしかわからないとか、自分たちにしかわからない、というのと、コミュニケーションを通じてはじめてわかるとか、あるいは全然わからないというのは、「わかる」を構成する二要素だと思うんですね。前者は独我論や地域コミュニティについて語り、後者は異文化や他者について語っているわけです。
独我論は、自分が自分を自分だとわかる、自分が自分であるということだけは疑い得ない、というようなところを根拠に世界を見ていくわけですが、実際には自分しかこの世に存在しなかったら、自分が自分であるということを認識してみようと考えること自体がおそらく成立しないので、独我論自体が他者を前提にしているように思います。だから、これら相反するように見える態度も、実際にはよくよく考えていけば相互に支えあっているというか、浸透しているというか、ちょっと普通に考えてみればわかるように、同じものの別の面でもあるわけですが、どんどん乖離していくように見える。
では、以上の「快楽」にせよ「わかる」にせよ、なぜ両者が乖離していったり、物事の両面であることが隠されていくのかと言うと、それは「他者」との出会いの欠如にあるのではないかと思います。それはまちにとっても、アートにとってもです。
他者との出会いが減ること、簡単に言うとわけのわからないものや不穏なものとの出会いをなくすことによって、社会は安全で住みやすいものになる一方で、あらゆるものが私的なものになり、ゲートが閉ざされ、文化って、あなたの個人的なこと、つまりは趣味の問題でしょ、ということになってきたのではないでしょうか。
ではこれをどう乗り越えたらいいのか。もちろん乗り越えなくてもいい、社会はいい方向へ向かっている、というお話もあるかとは思うのですが、いちおうそうじゃない社会を、つまりアートは公共性があるということを言いたいので、そういう方向で議論させてもらうと、私は「他者」との出会いを促進すること、先が見えないものを持ち込むこと、そしてこれらを多面的に評価すること、この3点が必要ではないかと考えます。
まず、「他者」との出会いですが、これは質的な問題、アプローチの問題もあって、例えば何がアートなのかを専門家や愛好家が握っている、あるいは少なくともそのように考えられているような状況のもとでは、アートあるいは文化施設は「使わせてあげます」「見せてあげます」的な存在としてしか出現しないので、当然、いらない「他者」としてしかまちには認識されません。逆にこうしたアートや文化施設にとっての「まち」も、すばらしい文化を理解できないダメな人たちみたいな、これまたどうしようもない「他者」としてしか立ち現れません。これは「他者」というよりやっかいものですね。
例えば、まちの方からすれば、何がアートかどうかはあんまり問題ではないわけです。おそらくそこまで考えてはいないわけですが、それを使って自分の生活やコミュニケーションの質を高めることができるかどうかが問題なわけです。あるいはそのようなものとしてアートが使える、価値がある、ということを知ってもらうことが重要なわけです。これぞアート・リテラシーの向上で、そうなってはじめてまちにとってアートが「他者」として歓待されるわけです。
アート・リテラシー向上の例としては、先にあげた長野の中学校などがいい事例でしょう。中学生が自己表現のために、自らが職人的技術力を磨くのではなく、すでにその道でそれなりにできる人やアーティストを呼んできて、やりたい企画を実現するプロデューサーとか仕掛け人的立場で動く。この立ち位置まで来れば、アートをわけのわからないもの、ムダなもの、私的なものなどとは思わないでしょう。
しかし、アートがそのようなものとして「まち」に現れるとは限りません。というより、ほとんどはそんな風には現れないと言っていいかと思います。そこにはアーティストとまちの人、そしてこれらを仲介するコーディネーターやファシリテーターの間の齟齬や誤解などがあるわけですが、これらをなるべくわかりやすくするために、次のような図を考案してみました。名づけて「PECP分析図」です。ネーミングがイマイチですが。
縦軸にアート軸として「展覧会型/プロジェクト型」という軸を、横軸にまち軸として、「地域型/都市型」という軸を設定します。
縦軸のアート軸は、ちょうど先日の「アサヒ・アート・フェスティバル(AAF)」のネットワーク会議で、P3の芹沢高志さんが、「伽藍とバザール」という話をされていましたが、それに対応するかと思います。「伽藍とバザール」は最初「グランドバザール」とか聞こえて何のことだ?と思ったんですが、要するに伽藍のように構築された企画と、自然発生的にできあがっていくバザールのように、やりながらできていくプロセス重視のプロジェクト型とを対比させた比ゆですが、私はそれを「展覧会型/プロジェクト型」と表現しています。上にいくほど構築的で、アーティスト個人の世界観を何より重視しますが、下にいくほど自然発生的で、参加する人相互の関係性から生まれるものを重視します。
また、横軸はまち軸といいましたが、要するに、そこに住んでいるというだけでいやおうなくいっしょにやらないといけないといった地域コミュニティ型のあり方と、好きだからやるといった都市型のあり方、集団で言えば目的解決型のテーマ・コミュニティなどもこちらに入るかと思います。
これらをマトリックス状にしてそれぞれの象限にアルファベットをつけてみました。すると、例えば「A」は展覧会型で都市型ですから、美術館やギャラリーでの企画展みたいなものになるでしょう。また、「D」はプロジェクト型で地域型ですから、東鳴子や塩竈でのプロジェクトのようなものになるのかなと。
(つづく)
バレンタインデーin船橋J
アートをするのに理由はないわけですが、「まちでアート」「まちとアート」という場合、理由が必要になってくるんですね。まちでアートをやろうと実際には結局、アートをするのに理由はないので、そこに何か必然性があるかのように振舞うことで、まちに入っていける、ということなわけです。
文化施設というのも、特に公立のものはその存在意義について、実際、いつも瀬戸際にたたされているのではないかと思います。それというのは、そもそも芸術・文化というのは、一部の愛好家のためのものなのではないか、私は絵なんて見ないのに、なぜそんなものに税金を使うのか、とこんな話があるんじゃないかと思うんですね。
それはスポーツについても言えることで、しかしスポーツの方はあまり問題にならないようにも見える。だからこれは本来的には別に論理的な話でも何でもなく、逆に言えばしっかりロビー活動をしたり、世論をつくりだしたり力に欠けているだけの話かもしれません。
そこで今日は、私なりにそれらしいひとつの説得の方法を編み出してみたいと。
例えば、芸術・文化は一部の愛好家の問題なんじゃないか、という立場は、まちづくりやまちの活性化について見ると、それはあるひとつのまち、あるいはそのまちの中でも一部の人についての問題なんじゃないか、という風にうつしかえることもできますよね。それはあなたのまちの問題で、日本全体の話じゃないんじゃないか、とか。あるいは突き詰めていくと、結局、それはあなたの問題じゃないのか、というところまでいくかもしれません。
これは裏を返していえば、それが「みんなの問題」ならいいんだけど、誰か特定の人や、非常に少数の人の問題、極端に言えばあなたひとりの問題ではだめだ、という話で、言い方をかえると、「公共性の問題」ということになるのではないかと思います。
ということは、結論から言うと、一部の愛好家のものではだめだ、誰か特定の人の問題ではだめだ、というのなら、それをみんなのこと、みんなの問題にしてしまえばいい、つまり、「他人事から自分事へ」と見方を変えることができればいい、ということになるのではないかと思うんですね。
そこで私は、ではそもそもなぜ人はある事柄をひとごとだと考え、ある事柄をそう考えないのだろうか、つまり、なぜ他人事と自分事とが区別されるのか、乖離するのかを考えてみることにしました。
まず根本的なことですが、「自分事」というのは、それを積極的にやっていきたい、自分のこととして考えたい、取り組みたい、ということで、つまりは「やりたい」ということではないかと考えます。
では何かをしたいという時、この「したい」つまり「快楽」には二種類あるのではないか、と思います。つまり「身体的快楽」と「コミュニケーション的快楽」で、これについては、ここまでに事例をお話する中で伏線的にお話させていただきましたが、実を言えば最近読んだ東浩紀氏の対談「コンテンツの思想」からちょっと借用したものです。
以下、ある程度独自の解釈もまじえながらもう一度説明しますと、「身体的快楽」とは、自分にしかわからない快楽です。ジョギングをする、趣味に徹する、絵を描く、等々。自分たちにしかわからない快楽というのもここに入れたいと思います。レゴマニアにしかわからないレゴの世界観とテクニックを堪能する感覚、鉄道マニアにしかわからない鉄道のよさを共有する感覚、等々。これらは「コミュニケーション」による快楽のようにも見えますが、実際には規則を共有している「身内」どうしによるモノローグのようなものではないかと思います。だから、わかる人にしかわからない、ある種閉じられた快楽ということで、身体的快楽に分類したいと思います。
一方、「コミュニケーション的快楽」というのは、「他者」と出会うことで得られる快楽のことです。自分のそれまでの経験にはなかったものとの出会いや、価値観が違うもの、規則を異にするものと出会うことで生じる驚きやショック、感激や感動。それはある意味、「快楽」なのか?という話もあるわけですが、異質なものと出会うことで生まれる軋轢や葛藤が、あるとき乗り越えられた感動は、波風たたずに平穏無事にいるだけではとうてい味わえない「快楽」でしょう。
近代社会では、この両者をつなぐシステムが強力に存在していたのではないかと思います。国民国家であるとか、軍隊、学校、あるいは地域コミュニティというものが、このふたつを結びつけていたのではないでしょうか。軍隊に入れば、僕はこんな命令ききませんとかいうような態度が尊重されるはずもなく、無理やりの「コミュニケーション」を強要され、死線をこえることでこれが運命をともにする戦友との間に身体的快楽をつなぐ回路が開けるわけです。そこまで極端でなくても、学校の部活なんかもそうですね。私は見えませんけど、高校・大学とラグビー部で、非常に性格的には自己中心的なんですが、ラグビーでは自己犠牲の精神というか、個を超えた快楽のようなものを体験しましたね。
こうしたシステムが強固に存在することで、「それは俺の問題じゃないから」というあり方が、それほど顕著に露呈していなかった、と言えるのかもしれません。
(つづく)
文化施設というのも、特に公立のものはその存在意義について、実際、いつも瀬戸際にたたされているのではないかと思います。それというのは、そもそも芸術・文化というのは、一部の愛好家のためのものなのではないか、私は絵なんて見ないのに、なぜそんなものに税金を使うのか、とこんな話があるんじゃないかと思うんですね。
それはスポーツについても言えることで、しかしスポーツの方はあまり問題にならないようにも見える。だからこれは本来的には別に論理的な話でも何でもなく、逆に言えばしっかりロビー活動をしたり、世論をつくりだしたり力に欠けているだけの話かもしれません。
そこで今日は、私なりにそれらしいひとつの説得の方法を編み出してみたいと。
例えば、芸術・文化は一部の愛好家の問題なんじゃないか、という立場は、まちづくりやまちの活性化について見ると、それはあるひとつのまち、あるいはそのまちの中でも一部の人についての問題なんじゃないか、という風にうつしかえることもできますよね。それはあなたのまちの問題で、日本全体の話じゃないんじゃないか、とか。あるいは突き詰めていくと、結局、それはあなたの問題じゃないのか、というところまでいくかもしれません。
これは裏を返していえば、それが「みんなの問題」ならいいんだけど、誰か特定の人や、非常に少数の人の問題、極端に言えばあなたひとりの問題ではだめだ、という話で、言い方をかえると、「公共性の問題」ということになるのではないかと思います。
ということは、結論から言うと、一部の愛好家のものではだめだ、誰か特定の人の問題ではだめだ、というのなら、それをみんなのこと、みんなの問題にしてしまえばいい、つまり、「他人事から自分事へ」と見方を変えることができればいい、ということになるのではないかと思うんですね。
そこで私は、ではそもそもなぜ人はある事柄をひとごとだと考え、ある事柄をそう考えないのだろうか、つまり、なぜ他人事と自分事とが区別されるのか、乖離するのかを考えてみることにしました。
まず根本的なことですが、「自分事」というのは、それを積極的にやっていきたい、自分のこととして考えたい、取り組みたい、ということで、つまりは「やりたい」ということではないかと考えます。
では何かをしたいという時、この「したい」つまり「快楽」には二種類あるのではないか、と思います。つまり「身体的快楽」と「コミュニケーション的快楽」で、これについては、ここまでに事例をお話する中で伏線的にお話させていただきましたが、実を言えば最近読んだ東浩紀氏の対談「コンテンツの思想」からちょっと借用したものです。
以下、ある程度独自の解釈もまじえながらもう一度説明しますと、「身体的快楽」とは、自分にしかわからない快楽です。ジョギングをする、趣味に徹する、絵を描く、等々。自分たちにしかわからない快楽というのもここに入れたいと思います。レゴマニアにしかわからないレゴの世界観とテクニックを堪能する感覚、鉄道マニアにしかわからない鉄道のよさを共有する感覚、等々。これらは「コミュニケーション」による快楽のようにも見えますが、実際には規則を共有している「身内」どうしによるモノローグのようなものではないかと思います。だから、わかる人にしかわからない、ある種閉じられた快楽ということで、身体的快楽に分類したいと思います。
一方、「コミュニケーション的快楽」というのは、「他者」と出会うことで得られる快楽のことです。自分のそれまでの経験にはなかったものとの出会いや、価値観が違うもの、規則を異にするものと出会うことで生じる驚きやショック、感激や感動。それはある意味、「快楽」なのか?という話もあるわけですが、異質なものと出会うことで生まれる軋轢や葛藤が、あるとき乗り越えられた感動は、波風たたずに平穏無事にいるだけではとうてい味わえない「快楽」でしょう。
近代社会では、この両者をつなぐシステムが強力に存在していたのではないかと思います。国民国家であるとか、軍隊、学校、あるいは地域コミュニティというものが、このふたつを結びつけていたのではないでしょうか。軍隊に入れば、僕はこんな命令ききませんとかいうような態度が尊重されるはずもなく、無理やりの「コミュニケーション」を強要され、死線をこえることでこれが運命をともにする戦友との間に身体的快楽をつなぐ回路が開けるわけです。そこまで極端でなくても、学校の部活なんかもそうですね。私は見えませんけど、高校・大学とラグビー部で、非常に性格的には自己中心的なんですが、ラグビーでは自己犠牲の精神というか、個を超えた快楽のようなものを体験しましたね。
こうしたシステムが強固に存在することで、「それは俺の問題じゃないから」というあり方が、それほど顕著に露呈していなかった、と言えるのかもしれません。
(つづく)
バレンタインデーin船橋I
しかし肝心の商店街との交流ができていないんじゃないか、ということで、二年目の2007年はそのためにはどうしたらいいだろうということで、コミュニティアート・ふなばしさんからは、ワークショップや町歩き、展示など一週間滞在してほしいという話をいただいたので、滞在中にお店を一軒一軒回って何かをやってみようと考えました。「こんにちは、アートです」ですね。
で、考えたのが、「葉っぱをつくってください」です。

この年、船橋は市政何十周年かで「緑化フェア」というのをやっていたんですね。で、「きらゆめ」の全体テーマも「育てよう、みどりと子ども」とかそういう系だったので、じゃあ、店主に「葉っぱつくってください」といって乗り込んでいこうと。
すると、「つくれないけど葉っぱならあるわよ」とか。「できないなぁ」とかいいながらものすごく凝ったのを描いてくれたりとかするわけです。



で、その日にあったことを日記にして、ショーウィンドーに飾ったり、ブログに書いたりして商店街との交流を深めました。

お店の方につくってもらった「葉っぱ」はどうなったかというと、これを型にして、同じものを無数にコピーして増やしていきました。これをつくるワークショップをコミュニティカフェ「ひなたぼっこ」さんをお借りして開催いたしました。

「ひなたぼっこ」さんは障害をもった人も働けるカフェで、ワークショップではそうしたいつもは店員をやっている障害者の方もいっしょにつくったのですが、エスプリがきいているというか、本当におもしろくて、終始参加者は笑いっぱなしの楽しいワークショップでした。

で、できあがった「葉っぱ」は商店街のいくつかの商店に展示することができました。こんな感じです。





150年くらいつづいている帽子屋さん「中村帽子店」さんでは、「おやじ生きてる?」とかいう感じでお得意さんがたずねてくるそうですが、たいへんな高齢の店主が切り盛りしていて、たいへん喜んでました。
「玉木ふとん店」さん。ここ船橋市民ギャラリーのあるスクエア21の一階に入ってますが、さっき行って来たところ、「またお手伝いしますよ」とのこと。「森田(商店)さんががんばってるからね」とか言ってました。
鳴子などでもそうですが、まちの方は「アートです」と来ても判断つかない。じゃあどうして受け入れてくれるのかというと、ひとつは「あの人の紹介だから」なんですね。逆に言うと、あんまりへんなことをすると紹介してくれた人の顔をつぶしちゃうことになるんですが。
それから、山口横町では東鳴子の「湯けむり」を例の美術館建設予定地の上に設置してみました。



女の子たちが風船に「雲」を描いてます。これは最初意図していたのは、風船に「雲」あるいは「湯けむり」の絵を描いてもらって、それを置いていく代わりに、誰かが描いた風船を持って行ける、というものだったんですが、やっぱり自分で描いたのは自分で持っていきたいようです。そんなこんなで、この日の船橋には、雲が描かれた風船をもった子どもをあちこちで見かけました。これはこの本町四丁目公園で生まれた「雲」がふわふわと船橋の町へと飛んで行った、というイメージなんですね。

こんな感じで、文化施設以外の場所で私が行ってきた文化活動の事例をご紹介いたしました。
次に、これらをふまえた上で、アートとコミュニティ、あるいは文化施設ということについて考えてみたいと思います。
(つづく)
で、考えたのが、「葉っぱをつくってください」です。
この年、船橋は市政何十周年かで「緑化フェア」というのをやっていたんですね。で、「きらゆめ」の全体テーマも「育てよう、みどりと子ども」とかそういう系だったので、じゃあ、店主に「葉っぱつくってください」といって乗り込んでいこうと。
すると、「つくれないけど葉っぱならあるわよ」とか。「できないなぁ」とかいいながらものすごく凝ったのを描いてくれたりとかするわけです。
で、その日にあったことを日記にして、ショーウィンドーに飾ったり、ブログに書いたりして商店街との交流を深めました。
お店の方につくってもらった「葉っぱ」はどうなったかというと、これを型にして、同じものを無数にコピーして増やしていきました。これをつくるワークショップをコミュニティカフェ「ひなたぼっこ」さんをお借りして開催いたしました。
「ひなたぼっこ」さんは障害をもった人も働けるカフェで、ワークショップではそうしたいつもは店員をやっている障害者の方もいっしょにつくったのですが、エスプリがきいているというか、本当におもしろくて、終始参加者は笑いっぱなしの楽しいワークショップでした。
で、できあがった「葉っぱ」は商店街のいくつかの商店に展示することができました。こんな感じです。
150年くらいつづいている帽子屋さん「中村帽子店」さんでは、「おやじ生きてる?」とかいう感じでお得意さんがたずねてくるそうですが、たいへんな高齢の店主が切り盛りしていて、たいへん喜んでました。
「玉木ふとん店」さん。ここ船橋市民ギャラリーのあるスクエア21の一階に入ってますが、さっき行って来たところ、「またお手伝いしますよ」とのこと。「森田(商店)さんががんばってるからね」とか言ってました。
鳴子などでもそうですが、まちの方は「アートです」と来ても判断つかない。じゃあどうして受け入れてくれるのかというと、ひとつは「あの人の紹介だから」なんですね。逆に言うと、あんまりへんなことをすると紹介してくれた人の顔をつぶしちゃうことになるんですが。
それから、山口横町では東鳴子の「湯けむり」を例の美術館建設予定地の上に設置してみました。
女の子たちが風船に「雲」を描いてます。これは最初意図していたのは、風船に「雲」あるいは「湯けむり」の絵を描いてもらって、それを置いていく代わりに、誰かが描いた風船を持って行ける、というものだったんですが、やっぱり自分で描いたのは自分で持っていきたいようです。そんなこんなで、この日の船橋には、雲が描かれた風船をもった子どもをあちこちで見かけました。これはこの本町四丁目公園で生まれた「雲」がふわふわと船橋の町へと飛んで行った、というイメージなんですね。
こんな感じで、文化施設以外の場所で私が行ってきた文化活動の事例をご紹介いたしました。
次に、これらをふまえた上で、アートとコミュニティ、あるいは文化施設ということについて考えてみたいと思います。
(つづく)
バレンタインデーin船橋H
さて、こうして「都市型のプロジェクト」もいちおう成功したのかな、というところで、私が取り組んでいるもうひとつの「都市型のプロジェクト」である千葉の「コミュニティアート・ふなばし」とのアート・プロジェクトへと話を移したいと思います。

2006年、「コミュニティアート・ふなばし」さんから、千葉の八街というところに、ものすごく広い場所があるから、ここで何かやらないか、ということになって出かけることになりました。もともとは八街にある全室個室の特養老人ホーム「風の村」のカフェで行われる「CCC円卓会議」というシンポジウムに出るという話だったのが、大きな庭があるから毛糸でばーっとやろうと。しかし、行ってみるとすでに広大な庭にはさまざまなアート作品が並んでいたんですね。これはどういうことかというと、アーティストがやって来てアートをやるという話だが、それなら自分たちもやろうではないか、そうと決まったらアーティストが来る週をアート週間のようにして展示して楽しもう、と町のいろいろなことをやっている人に声がけして、始めてしまったということなんですね。本当にすばらしいことですね。
この老人ホームの庭というのがたいへんな広さで、しかしホームに入っている方はあまり外に出られない。そんな広大な土地が「余ってる」わけですね。それをもったいないと考えた町の方が、市民の活動の場として使いたいと老人ホーム側に交渉して、使ってくれということになったらしいんですね。で、コスモス園をつくったり、バーベキューみたいなことをしたりしていたんだけれど、今後、いろんな希望を聞いてゲートボール場や炭焼き小屋、ドッグランなんかもやっていきたい、その試運転的なものとしてアートを、というかたちになったようです。図らずもこうして庭全域を使う展示を行うことで、この場所の広さを体感する機会になったようです。



それから、ここ、船橋へとやってまいりました。「アイラブふなばし」というものの一環で、本町通りでは「きらきら夢ひろば」というのを年に2回、春と秋に行っている。たくさんのNPOが商店街を舞台にいろんなことをやっているんだけれど、「きらゆめ」当日はたいへん忙しいので、参加NPO同士の交流の機会があまりないとお聞きし、船橋、つまり船で橋をつくる町という素敵な名前から発想して、参加NPOのみなさんに紙で船をつくってもらって、橋をかけようじゃありませんか、ということでつくってもらったのがこれです。


ただつくっているだけではなくて、こちらからは願い事みたいなものを書いてくれ、というようなお話をしたかと思うのですが、できあがったのを見てみると、みんなこれを利用して自分のところのNPOの宣伝や主張をしたりしていて、このリテラシー能力はすばらしいと思いました。「船橋に中ホールをつくろう!」とか音楽教室のロゴとか。

それから世界紙船競艇選手件大会の第一回大会を行いました。脚立を
2本立ててその間に毛糸をはり、毛糸をひっぱることで紙船を進めてそのタイムを競う、という競技ですが、その後、仙台、塩竈と第三回大会まで行いました。
また、歴史ある森田呉服店の店先ではこんなことをしたり、山口横町にある本町四丁目公園では、ここに市立美術館が建つということで、出航テープをイメージした毛糸を結びました。

そんなこんなでこの一年目は10団体以上にのぼる参加NPO同士の交流のきっかけにはなったかなと。
(つづく)

2006年、「コミュニティアート・ふなばし」さんから、千葉の八街というところに、ものすごく広い場所があるから、ここで何かやらないか、ということになって出かけることになりました。もともとは八街にある全室個室の特養老人ホーム「風の村」のカフェで行われる「CCC円卓会議」というシンポジウムに出るという話だったのが、大きな庭があるから毛糸でばーっとやろうと。しかし、行ってみるとすでに広大な庭にはさまざまなアート作品が並んでいたんですね。これはどういうことかというと、アーティストがやって来てアートをやるという話だが、それなら自分たちもやろうではないか、そうと決まったらアーティストが来る週をアート週間のようにして展示して楽しもう、と町のいろいろなことをやっている人に声がけして、始めてしまったということなんですね。本当にすばらしいことですね。
この老人ホームの庭というのがたいへんな広さで、しかしホームに入っている方はあまり外に出られない。そんな広大な土地が「余ってる」わけですね。それをもったいないと考えた町の方が、市民の活動の場として使いたいと老人ホーム側に交渉して、使ってくれということになったらしいんですね。で、コスモス園をつくったり、バーベキューみたいなことをしたりしていたんだけれど、今後、いろんな希望を聞いてゲートボール場や炭焼き小屋、ドッグランなんかもやっていきたい、その試運転的なものとしてアートを、というかたちになったようです。図らずもこうして庭全域を使う展示を行うことで、この場所の広さを体感する機会になったようです。
それから、ここ、船橋へとやってまいりました。「アイラブふなばし」というものの一環で、本町通りでは「きらきら夢ひろば」というのを年に2回、春と秋に行っている。たくさんのNPOが商店街を舞台にいろんなことをやっているんだけれど、「きらゆめ」当日はたいへん忙しいので、参加NPO同士の交流の機会があまりないとお聞きし、船橋、つまり船で橋をつくる町という素敵な名前から発想して、参加NPOのみなさんに紙で船をつくってもらって、橋をかけようじゃありませんか、ということでつくってもらったのがこれです。
ただつくっているだけではなくて、こちらからは願い事みたいなものを書いてくれ、というようなお話をしたかと思うのですが、できあがったのを見てみると、みんなこれを利用して自分のところのNPOの宣伝や主張をしたりしていて、このリテラシー能力はすばらしいと思いました。「船橋に中ホールをつくろう!」とか音楽教室のロゴとか。
それから世界紙船競艇選手件大会の第一回大会を行いました。脚立を
2本立ててその間に毛糸をはり、毛糸をひっぱることで紙船を進めてそのタイムを競う、という競技ですが、その後、仙台、塩竈と第三回大会まで行いました。
また、歴史ある森田呉服店の店先ではこんなことをしたり、山口横町にある本町四丁目公園では、ここに市立美術館が建つということで、出航テープをイメージした毛糸を結びました。
そんなこんなでこの一年目は10団体以上にのぼる参加NPO同士の交流のきっかけにはなったかなと。
(つづく)
バレンタインデーin船橋G
門脇:で、このプロジェクトを撮ったドキュメンタリー映画も完成しまして、この3月2日に塩竈で上映会が開催されます。

下山:何分?
門脇:90分だそうです。
下山:すごいね。
門脇:以前、その監督がアフガニスタンに取材したドキュメンタリーの上映会を仙台で主催したことがあって、そのご縁でこうなりました。
そんなこんなで、出かけて行ってやっていたわけですが、自分が住んでいる街でもやってみようかと思い、仙台でやることにしました。
プロジェクトをやろうと思って目をつけたのが、「杜の都」の代名詞ともいえる定禅寺通りという通りのけやき並木なんですが、この場所は4つくらいの商店街にわかれているらしいんですが、どうもコミュニティの薄い場所らしいんですね。昔ながらの商店街という感じではない。そこでこれは、先ほどの東鳴子や塩竈の例のような、あるいは長野の中学校や禅寺のような「地域コミュニティ型のプロジェクト」ではなく、「都市型のプロジェクト」であると考え、これにのぞむことにしました。一般にボランティアスタッフを募集して、この場所をお借りして楽しくやる、するとおもしろいことをやっている、ということで社会の関係性が活性化したり多様化したりしていくのではないか、ということですね。

すると20名ほど、核となったのはそのうちの5〜6名ですが、下は小学生から、上はお勤めの4〜50代の方まで集まってきて、一週間かけてこういうことをやりました。




これもまたうまいぐあいに「悪役」が現れてくれました。某市の公園課職員の方です。ある日突然呼び出され、6品くらいの職員の方々にとりまかれ、「そんな話聞いてないワッ!」に始まって、「ここは公園扱いだけど人が通るから歩道と同じで、だから条例では2.7メートル以上ないとダメなのヨッ!」とかいうわけです。まぁ、職員の中にもすこしは話のわかる人がいて、その強烈な方をなだめてくれたりし、とりあえず2.7メートルの高さと、作業の安全性、けやきの根への配慮に関して、現場で検証と指導をしてもらうことになりました。
で、こっちはメールやら電話やらで「明日、現場で指導があるからできるかぎり人数集めて」とかやったら、みんなけっこう集まってくれて。仕事抜け出してやって来てくれたりとか。それで10人ばかりで毛糸結んで、「おー、2.7メートルあるある、大丈夫だ!」とかやって、公園課も「安全にお願いしますね」とか何とか言って去って行って、これでみんなの心が作業開始前にひとつになったわけですね。すばらしい演出です。
下山:悪役さまさまですね。
門脇:そうなんですね。しかも難易度のそれほど高くない悪役がうまいぐあいに現れてくれる。
下山:ちょうどいい悪役。船橋は悪役いないのがダメですね。
門脇:なるほど。で、この学生さんですが、一番活躍した人で、一週間、朝10時から夜の10時までずっと作業してくれました。

2日目だったでしょうか、私がなんか、たいへんだからきりのいいところであがってくれとか何度か言ってたんですね、すると「僕の一週間は門脇さんに預けるって、もう決めたんで」と言うんですね。そして、「何で俺、こんな一銭にもならないことやってるんだろう。でもやめられないんです」とか言うわけです。おそらく彼は、金銭的なインセンティブの世界観から、非金銭的インセンティブへとアートによって越境してしまったんですね。そうしたものを与える力が、アートにはあるということが証明できたのかなと。しかしおもしろいのは、彼はそもそも「アートにはまったく興味がない」という男で、私の知り合いの方がたまたま彼の大学の学生課かなんかの職員をやっていたのですすめてくれたから来てみたというだけの話だったわけですが、そんなにのめりこんでアートが好きになったのか、少なくとも興味がわいたか、と言えば「全然わかない」のだそうです。彼にとってはそれがアートであるかどうかではなく、あのいわば「無意味」な作業環境とその雰囲気が気に入って、興味をもってやったわけであって、それがアートであるかどうかはどうでもいいことなんですね。しかしこれは私にはうれしい反応でした。
こうして全長600メートルほどの大きな「作品」ができあがりました。実はこれはけやき並木を桜並木にしようというもので、この時期、けやき並木は一年で一番寂しいというか、この通りの奥にある西公園という花見の名所ににぎわいを取られているわけですね。そこでその西公園から桜並木を延長する、ということでやったので、完成した週末には、このさくら並木の下で「お花見イベント」を開催しました。




高校生の子にバンドやってるんなら、演奏してみないか、と声をかける。すると、「え、あんなところでボクたちなんかがやっちゃっていいんですか?」となる。こうして高校生が自分の街を表現の場にしていくということが、ごく気軽に行われる。それから手づくりアートをやっている子たちなどもたくさん集まってもらいました。大学の手話サークルに協力してもらって、アート・ツアーを手話付でやる、ということもやってみました。これは手話が必要な人が実際にその場にいる、というよりも、必要でない人に手話を見てもらう、という意味合いが強かったですね。
この春にも、ゴールデンウィーク期間中、けやき並木に隣接した一番町四丁目商店街というアーケードに、今度はけやきの新緑をイメージした毛糸の屋根を架ける、というのをやる予定です。

また第三弾もすでに用意しているんですが、「青葉城恋唄」でも知られる広瀬川に毛糸の天の川をかける、というのを考えています。

(つづく)
下山:何分?
門脇:90分だそうです。
下山:すごいね。
門脇:以前、その監督がアフガニスタンに取材したドキュメンタリーの上映会を仙台で主催したことがあって、そのご縁でこうなりました。
そんなこんなで、出かけて行ってやっていたわけですが、自分が住んでいる街でもやってみようかと思い、仙台でやることにしました。
プロジェクトをやろうと思って目をつけたのが、「杜の都」の代名詞ともいえる定禅寺通りという通りのけやき並木なんですが、この場所は4つくらいの商店街にわかれているらしいんですが、どうもコミュニティの薄い場所らしいんですね。昔ながらの商店街という感じではない。そこでこれは、先ほどの東鳴子や塩竈の例のような、あるいは長野の中学校や禅寺のような「地域コミュニティ型のプロジェクト」ではなく、「都市型のプロジェクト」であると考え、これにのぞむことにしました。一般にボランティアスタッフを募集して、この場所をお借りして楽しくやる、するとおもしろいことをやっている、ということで社会の関係性が活性化したり多様化したりしていくのではないか、ということですね。
すると20名ほど、核となったのはそのうちの5〜6名ですが、下は小学生から、上はお勤めの4〜50代の方まで集まってきて、一週間かけてこういうことをやりました。
これもまたうまいぐあいに「悪役」が現れてくれました。某市の公園課職員の方です。ある日突然呼び出され、6品くらいの職員の方々にとりまかれ、「そんな話聞いてないワッ!」に始まって、「ここは公園扱いだけど人が通るから歩道と同じで、だから条例では2.7メートル以上ないとダメなのヨッ!」とかいうわけです。まぁ、職員の中にもすこしは話のわかる人がいて、その強烈な方をなだめてくれたりし、とりあえず2.7メートルの高さと、作業の安全性、けやきの根への配慮に関して、現場で検証と指導をしてもらうことになりました。
で、こっちはメールやら電話やらで「明日、現場で指導があるからできるかぎり人数集めて」とかやったら、みんなけっこう集まってくれて。仕事抜け出してやって来てくれたりとか。それで10人ばかりで毛糸結んで、「おー、2.7メートルあるある、大丈夫だ!」とかやって、公園課も「安全にお願いしますね」とか何とか言って去って行って、これでみんなの心が作業開始前にひとつになったわけですね。すばらしい演出です。
下山:悪役さまさまですね。
門脇:そうなんですね。しかも難易度のそれほど高くない悪役がうまいぐあいに現れてくれる。
下山:ちょうどいい悪役。船橋は悪役いないのがダメですね。
門脇:なるほど。で、この学生さんですが、一番活躍した人で、一週間、朝10時から夜の10時までずっと作業してくれました。
2日目だったでしょうか、私がなんか、たいへんだからきりのいいところであがってくれとか何度か言ってたんですね、すると「僕の一週間は門脇さんに預けるって、もう決めたんで」と言うんですね。そして、「何で俺、こんな一銭にもならないことやってるんだろう。でもやめられないんです」とか言うわけです。おそらく彼は、金銭的なインセンティブの世界観から、非金銭的インセンティブへとアートによって越境してしまったんですね。そうしたものを与える力が、アートにはあるということが証明できたのかなと。しかしおもしろいのは、彼はそもそも「アートにはまったく興味がない」という男で、私の知り合いの方がたまたま彼の大学の学生課かなんかの職員をやっていたのですすめてくれたから来てみたというだけの話だったわけですが、そんなにのめりこんでアートが好きになったのか、少なくとも興味がわいたか、と言えば「全然わかない」のだそうです。彼にとってはそれがアートであるかどうかではなく、あのいわば「無意味」な作業環境とその雰囲気が気に入って、興味をもってやったわけであって、それがアートであるかどうかはどうでもいいことなんですね。しかしこれは私にはうれしい反応でした。
こうして全長600メートルほどの大きな「作品」ができあがりました。実はこれはけやき並木を桜並木にしようというもので、この時期、けやき並木は一年で一番寂しいというか、この通りの奥にある西公園という花見の名所ににぎわいを取られているわけですね。そこでその西公園から桜並木を延長する、ということでやったので、完成した週末には、このさくら並木の下で「お花見イベント」を開催しました。
高校生の子にバンドやってるんなら、演奏してみないか、と声をかける。すると、「え、あんなところでボクたちなんかがやっちゃっていいんですか?」となる。こうして高校生が自分の街を表現の場にしていくということが、ごく気軽に行われる。それから手づくりアートをやっている子たちなどもたくさん集まってもらいました。大学の手話サークルに協力してもらって、アート・ツアーを手話付でやる、ということもやってみました。これは手話が必要な人が実際にその場にいる、というよりも、必要でない人に手話を見てもらう、という意味合いが強かったですね。
この春にも、ゴールデンウィーク期間中、けやき並木に隣接した一番町四丁目商店街というアーケードに、今度はけやきの新緑をイメージした毛糸の屋根を架ける、というのをやる予定です。
また第三弾もすでに用意しているんですが、「青葉城恋唄」でも知られる広瀬川に毛糸の天の川をかける、というのを考えています。
(つづく)
バレンタインデーin船橋F
今、話に出ましたが、その塩竈の「もとまちアート海廊」というのは、昨年7月から8月にかけて40日ほどやったんですが、東鳴子で培った「見せる/見せられる」の関係から、何かを分かち合うフラットな関係へ、ということをとことんまでやってのけた感じの企画です。
先にお話した、絵画や何かをひとりでつくりつづけるのを「身体的快楽」と呼ぶなら、これらは「コミュニケーション的快楽」とでも呼ぶべきものだろうと思います。
下山:塩竈はけっこう大きかったんですか?
門脇:予算的にはほとんどゼロですし、入場者数もおそらく2000人程度だったんじゃないかと思いますが、塩竈というまちに与えたインパクトは大きかったと思います。塩竈は人口6万人程度で、宮城県の中では一番小さな市ですが、たしか少し前まで人口密度が日本一で、とても緑が少なく、人がひしめき合っている、東北では一二を争う歴史をもつ町です。
下山:何で栄えていた?
門脇:マグロですね。マグロで潤って、200カイリまでは腹巻に札束を入れた船員さんたちががんがん町にお金を落としていく、という状態だったようです。この当時を知る人たちはとにかく「昔はよかった」と言います。
下山:その人たちが生きてる?
門脇:その人たちが今、60代後半から上の世代です。本町(もとまち)という商店街でまちづくりをやっている「本町まちづくり研究会」という団体とやったんですが、なんと60代半ばくらいの方が一番元気がいいんですね。その方たちが中学生だった頃、担任をしていたという方とあるとき喫茶店でいっしょになってお話しを聞いたんですが、お祭りのときなどには町中の何軒もの家で接待を受けてたいへんだったと。2,3軒で終わりにして帰ると後でたいへん怒られたとか。その時期とのギャップが激しく、意気消沈している町のようなんですね。そこで、これはアートでどうだろうと思って、入っていきました。
「大漁旗でツリーつくります」です。この大漁旗というのは、海の上にあるものなんですが、なぜこんなにたくさん陸の上にあるかというと、それだけ倒産した会社がいっぱいあるということなんですね。結局、これは負の遺産を展示しているようなものなんです。いつまでも過去をなつかしんだりするのではなく、そこから新しい大漁旗を自分たちで見つけていかないといけない、みたいな。
ここでも手法としては、まず「こんにちは、アートです」と、こう行くわけです。
下山:本当にそういう風に言うの?
門脇:まぁそうですね。話、聞いてますか?とかいう感じで。だいたいは聞いてないわけですが。とにかく、突然何かが誰も了解しないうちにできあがる、というのを避けたいんですね。
まず町歩きをして、いろいろなお店や何かで話をして、写真を撮って、ブログ立ち上げて、そこにがんがんレポートしていく。そうすると、まちの人の中にはちゃんと見ている人もいて、「結構見てる人いるみたいだね」とかいうことになるわけです。そこへ他の地域の人を呼んできたり、アートやってる若い子とかを連れてきたり、マスコミにプレスリリースをがんがん送っていく。すると「今日、NHKで2回も流れた!」「新聞見た!?」とかいうことになって、「もしかしてアートというのはすごいんじゃないか」となるわけですね。
ところで、この大漁旗ツリーをやったこの場所に立つこの建物は、つぶれた銀行です。塩竈の「BANK Art」ですね。この建物と隣の空き地で、本町まちづくり研究会は年に何回かイベントをやっていたわけです。
下山:もうやってたんですね。
門脇:物産展みたいな、カキを焼いて売ったり、やきそばを焼いたりといったものをやって3年目くらいに入るところだったんですね。しかしイマイチ人が来ない。TVにも新聞にも出ない。ところがアートをやったら毎日大漁旗の写真を撮りに来るし、新聞にもTVにも出る。アートって、すごいのか?と、ちょっとした誤解がうまれたわけです。おそらく1回目、ということと、地元密着型でおもしろかったので来たんだと思いますが。
で、今度は車しか通らない商店街の奥地へも人が歩くような仕掛けをしたい、ということになり、では商店街を使った企画をやりましょう、ということになったのが、先の「もとまちアート海廊」です。
ところでこの塩竈というのが、案外おもしろい町で、アーティストを連れて行って下見とかしたんですが、「勝てるかなぁ」というような反応なんですね。というのも、毎日が縁日状態の駄菓子屋さんとか、あざらしの剥製がばーんと置いてあるインテリアのお店とか、すでに数十年はたっていようかというロウでできたおすしの模型を出してるお寿司屋さんとか、とりあえず路上観察とか好きな方にはとんでもなく密度の濃い町なんですね。もちろん、まちの方はそんな「魅力」には気づいていないわけですが。
そこで「まちはすでにアートであふれている」というコンセプトでこれを行うことにしました。
先ほどのつぶれた銀行も「バンク・アート」として展示場所になりました。これも消防法とかいろいろあったんですが、まぁ、まちのイベントということで、いろいろ動いてもらって事なきを得ました。
そしてオープニング、市長さんまでかけつけて、お約束のテープカットですね。
テープカットやります、とか本気でいうんで、本当にすごいなぁと。テープカットじゃなくて「毛糸カット」にしてもらい、カットと同時に銀行跡の屋上から毛糸の出航テープを投げました。
作品はこんな感じです。
(つづく)
バレンタインデーin船橋E
2007年の「アート湯治祭」は、駅では毛皮は撤去、穴を掘った人は生活道なのですぐ埋めてほしいと言われ、「湯けむり」も風船でふくらませている関係から一週間弱で撤去、あとはパフォーマンスくらいのものでしたから、お客さんが来ても「見るものがないじゃないか」という苦情が出る。

そこで勘七湯の主人が見るに見かねて、「うちの使ってない別館を使ってもいい」と言い出しました。
これが昭和初期に今のご主人のおばあさんがキャッシュで支払ってつくらせたという、外はぼろぼろですが、中はかなり贅沢なつくりの建物で、今後こうしたまちのアートの拠点が出てくるといいなと思っています。ここでは急遽、参加者を集め、仙台圏の美術系大学の学生さんや卒業生の方に平面や塗り物などを出してもらいました。


それから、地域で完結していてはだめなんじゃないか、ということでアートによるネットワーク力をフルに活用し、隣町の岩出山へも出て行くことにしました。ちなみに08年はさらにそのお隣の古川へも進出する予定です。
この岩出山は、伊達政宗が仙台へ出る前の青年期を過ごした場所で、見所もたくさんあるんですが、「感覚ミュージアム」という、感覚をテーマにしたミュージアムがあります。有名な建築家の設計によるもので、ちょうど館長さん、副館長さんが代わられたというので、つてをたよって会いに行きました。企画を話すと、「ちょうど外に出て行くような企画をやろうと思っていた」ということで、すぐに話がまとまり、アーティストを連れていって、顔合わせをしたり、やりたい企画を個別にスタッフの方と打ち合わせて、秋口から1か月くらい、展示をやることになりました。
ところがこれが建築家の方の了承をとっていなかったんですね。というか、建築家の方が忙しかったらしく、返事が来たのが企画開催の一週間前という状況で、「ここは貸し画廊じゃない」というようなメールが来た、と。
こちらが出した展示内容としては、中庭に毛糸を結んだり、壁にマンションのベランダのようなものを無数にはったり、水晶玉をつるしたり、といものだったのですが、会議室に藁を積み上げる、というのがあって、これがどうもまずいんじゃないか、ということになり、ここからミュージアム側との間の緊張関係がつづきました。作家はすでに会議室を藁に積み上げて展示を始めてしまい、ミュージアム側では、「建築家の先生が講演で仙台に来るついでにこちらにも来るらしいから、その前までに撤去してくれないか」という話が出、しかし作家としては、「いや、それは最初と話がちがう、自分は何も悪いことしていないから撤去できない」というもっともな話があり、私としては、どうしたもんかなー、「まぁまぁ」とかわけのわからない感じでのらりくらりとしていたところ、作家の方、この人は地元の人ですが、ずいぶんとミュージアムに足を運び、館長を説得してしまったようで、館長さん、「もう腹をくくった。好きなようにやってくれ」とか言い出すわけですね。すばらしいですねー。
よかったよかった、ということで、「私も怒られにいきますんで」とか言いながら、当の建築家の先生がいらっしゃる「Xデー」が近づいてくると、いやがおうにも緊張と団結心とが高まっていくわけです。そして迎えた「Xデー」。前日に確認の電話をしたところ、「来るそうです」というので、朝一番でミュージアムまで車を走らせ、待ち構えようと行ってみると、「先ほど電話が来て、やっぱり来れなくなったそうです」という結末。
そんなこんなで行った展示がこちらです。



JRのローカル線、陸羽東線を使ったうすーいコミュニケーションをテーマとした企画も行いました。
8駅に「この町の好きなところを教えてください」といったアンケートをとって、それをもとに作品をつくる、というもので、あんまり期待していなかったんですが、かなり前向きな回答がよせられました。

本屋もCDショップもない田舎なので、こんなところ嫌だ、とかいうのかなと思ったら、「星がたくさん見えるところ」「自然がたくさんあるところ」など、地域を積極的に評価しているんですね。まぁ、質問がまず誘導尋問的ではあるんですが。女子高生あたりらしい筆跡が多かったです。
そこで私も無人駅の天井に星や葉っぱや花びらなどを駅ごとにかえてはりつける、というのをやってみました。


結局、そのアンケートのことを知っている人や、あるいはその答えを書いた人だけにしか、意味がわかんないものなんですね。届いているかどうかもわからない。そういう針の穴を通すようなコミュニケーションもおもしろいかな、と思ってやってみました。

それから、地域間ネットワークをもっとダイナミックに、行為として見せられないかなと思ってこんなこともやりました。
鳴子は山間部で米がうまいんですが、70キロ離れた港町・塩竈、ここはその名の通り、塩をつくる方法を神様が伝えたというほどの土地で、この鳴子の米と塩竈の塩とで「日本一うまい握り飯」、しかも「日本一手のかかってうまい握り飯」をつくれないかと考えました。
東鳴子が国の助成を受けて、1台20万円する三輪自転車「トライク」というのを20数台手に入れたのですが、塩竈と「まちづくり」の縁があって交流が始まり、そのうち3台を塩竈に寄贈して、東鳴子と塩竈におんなじこのトライクが配備されているわけです。両地域を結ぶこの乗り物に米を乗せて、さあ出発です。

彼がその「いけにえ」となった東北大トライアスロン部で西洋美術史専攻の小林くんです。オトナたちは車で伴走し、彼はひとりで最後まで完走しました。

途中、いろんなところへ寄って行こうよ、小林くん、ということで道々、あいさつしていろいろごちそうになったりしていると、ほんの隣町まで行くのに午前中いっぱいかかってしまい、小林くん、だんだんじりじりしてきたのか、私が車でちょっと道に迷ったすきに、ここぞとばかり信じられないほどの距離を進んでしまい、まさかこんなところまで来てないだろうというところでやっと追いついたり。

松島まで迎えに来た「塩竈アートライク隊」とともに記念撮影をした後、どうどうと塩竈へと到着、かの地で行われていた「もとまちアート海廊(ウォーク)」のフィナーレ会場へと突入し、かくして「日本一(手のかかった)うまい握り飯」を制作したのでした。

(つづく)
そこで勘七湯の主人が見るに見かねて、「うちの使ってない別館を使ってもいい」と言い出しました。
これが昭和初期に今のご主人のおばあさんがキャッシュで支払ってつくらせたという、外はぼろぼろですが、中はかなり贅沢なつくりの建物で、今後こうしたまちのアートの拠点が出てくるといいなと思っています。ここでは急遽、参加者を集め、仙台圏の美術系大学の学生さんや卒業生の方に平面や塗り物などを出してもらいました。
それから、地域で完結していてはだめなんじゃないか、ということでアートによるネットワーク力をフルに活用し、隣町の岩出山へも出て行くことにしました。ちなみに08年はさらにそのお隣の古川へも進出する予定です。
この岩出山は、伊達政宗が仙台へ出る前の青年期を過ごした場所で、見所もたくさんあるんですが、「感覚ミュージアム」という、感覚をテーマにしたミュージアムがあります。有名な建築家の設計によるもので、ちょうど館長さん、副館長さんが代わられたというので、つてをたよって会いに行きました。企画を話すと、「ちょうど外に出て行くような企画をやろうと思っていた」ということで、すぐに話がまとまり、アーティストを連れていって、顔合わせをしたり、やりたい企画を個別にスタッフの方と打ち合わせて、秋口から1か月くらい、展示をやることになりました。
ところがこれが建築家の方の了承をとっていなかったんですね。というか、建築家の方が忙しかったらしく、返事が来たのが企画開催の一週間前という状況で、「ここは貸し画廊じゃない」というようなメールが来た、と。
こちらが出した展示内容としては、中庭に毛糸を結んだり、壁にマンションのベランダのようなものを無数にはったり、水晶玉をつるしたり、といものだったのですが、会議室に藁を積み上げる、というのがあって、これがどうもまずいんじゃないか、ということになり、ここからミュージアム側との間の緊張関係がつづきました。作家はすでに会議室を藁に積み上げて展示を始めてしまい、ミュージアム側では、「建築家の先生が講演で仙台に来るついでにこちらにも来るらしいから、その前までに撤去してくれないか」という話が出、しかし作家としては、「いや、それは最初と話がちがう、自分は何も悪いことしていないから撤去できない」というもっともな話があり、私としては、どうしたもんかなー、「まぁまぁ」とかわけのわからない感じでのらりくらりとしていたところ、作家の方、この人は地元の人ですが、ずいぶんとミュージアムに足を運び、館長を説得してしまったようで、館長さん、「もう腹をくくった。好きなようにやってくれ」とか言い出すわけですね。すばらしいですねー。
よかったよかった、ということで、「私も怒られにいきますんで」とか言いながら、当の建築家の先生がいらっしゃる「Xデー」が近づいてくると、いやがおうにも緊張と団結心とが高まっていくわけです。そして迎えた「Xデー」。前日に確認の電話をしたところ、「来るそうです」というので、朝一番でミュージアムまで車を走らせ、待ち構えようと行ってみると、「先ほど電話が来て、やっぱり来れなくなったそうです」という結末。
そんなこんなで行った展示がこちらです。
JRのローカル線、陸羽東線を使ったうすーいコミュニケーションをテーマとした企画も行いました。
8駅に「この町の好きなところを教えてください」といったアンケートをとって、それをもとに作品をつくる、というもので、あんまり期待していなかったんですが、かなり前向きな回答がよせられました。
本屋もCDショップもない田舎なので、こんなところ嫌だ、とかいうのかなと思ったら、「星がたくさん見えるところ」「自然がたくさんあるところ」など、地域を積極的に評価しているんですね。まぁ、質問がまず誘導尋問的ではあるんですが。女子高生あたりらしい筆跡が多かったです。
そこで私も無人駅の天井に星や葉っぱや花びらなどを駅ごとにかえてはりつける、というのをやってみました。
結局、そのアンケートのことを知っている人や、あるいはその答えを書いた人だけにしか、意味がわかんないものなんですね。届いているかどうかもわからない。そういう針の穴を通すようなコミュニケーションもおもしろいかな、と思ってやってみました。
それから、地域間ネットワークをもっとダイナミックに、行為として見せられないかなと思ってこんなこともやりました。
鳴子は山間部で米がうまいんですが、70キロ離れた港町・塩竈、ここはその名の通り、塩をつくる方法を神様が伝えたというほどの土地で、この鳴子の米と塩竈の塩とで「日本一うまい握り飯」、しかも「日本一手のかかってうまい握り飯」をつくれないかと考えました。
東鳴子が国の助成を受けて、1台20万円する三輪自転車「トライク」というのを20数台手に入れたのですが、塩竈と「まちづくり」の縁があって交流が始まり、そのうち3台を塩竈に寄贈して、東鳴子と塩竈におんなじこのトライクが配備されているわけです。両地域を結ぶこの乗り物に米を乗せて、さあ出発です。
彼がその「いけにえ」となった東北大トライアスロン部で西洋美術史専攻の小林くんです。オトナたちは車で伴走し、彼はひとりで最後まで完走しました。
途中、いろんなところへ寄って行こうよ、小林くん、ということで道々、あいさつしていろいろごちそうになったりしていると、ほんの隣町まで行くのに午前中いっぱいかかってしまい、小林くん、だんだんじりじりしてきたのか、私が車でちょっと道に迷ったすきに、ここぞとばかり信じられないほどの距離を進んでしまい、まさかこんなところまで来てないだろうというところでやっと追いついたり。
松島まで迎えに来た「塩竈アートライク隊」とともに記念撮影をした後、どうどうと塩竈へと到着、かの地で行われていた「もとまちアート海廊(ウォーク)」のフィナーレ会場へと突入し、かくして「日本一(手のかかった)うまい握り飯」を制作したのでした。
(つづく)


